スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ファインディング・ドリーに見る私達の存在の意義

ファインディング・ドリー 皆さんは、もう「ファインディング・ドリー」(原題"Finding Dory")を観ましたか?
「ファインディング・ドリー」は、「ファインディング・ニモ」(原題"Finding Nimo")から一年後のお話。
クマノミのマーリンが、人間に連れ去られた子供のニモを取り戻すための旅に出るわけですが、その際に、手伝ってくれたのが、ナンヨウハギのドリーです。

ドリーは、重度の健忘症で、すぐに何でも忘れてしまうのですが、そのドリーが自分の両親の事を思い出し、マーリンとニモの力を借りて、両親を探す旅に出ます。
何かに優れているという事は、何かに偏るという事 劇中で、ドリーの重度の健忘症に、観ている側もイライラする事があると思います。
マーリンも、ドリーの忘れっぽさにイライラするわけですが、お話が進む中で、ドリーの「能天気な性格=前向きで、発想豊かで、度胸がある」性格に助けられてニモを取り戻せた事をニモに指摘されます。

よく「長所と短所は表裏一体」と言われます。
すぐに忘れてしまうという短所は、過去に囚われずに、常に新しい視点で考えられるという長所なのです。

ニモ自身は、生まれつき片方のヒレが小さいせいで上手く泳げないというハンディを負っていた事を、父親のマーリンが「幸運のヒレ」と呼んでくれました。
その経験が、ニモをドリーの良き理解者とし、ドリーの弱みにある裏側の強みを理解できたのでしょう。

何かに優れているという事は、何かに偏るという事です。
その観点で、この物語を観ると、出てくる海洋生物が、それぞれに弱みもあるけれど、強みもあり、互いの弱みを、それぞれの強みで補い合う物語なんだと気づくと思います。
全てに優れている人は誰も必要としない 私達の脳は、特定の分野に使えば使うほど、特化されて能力が伸びるそうです。
人間がここまで文明を発達させて、種の繁栄を享受出来ているのは、未熟な脳のお陰だそうです。

直立二足歩行により、腰骨が小さくなり、結果として、産道が狭くなって、頭が小さい状態で生まれざるを得ないわけです。
これは、他の動物が、生まれ落ちたら、即座に親と同様に行動できるのと大違いです。
他の動物たちは、脳が生きていくのに十分な成長した状態で生まれるのです。

それに対して、人間の赤ちゃんは、脳が未熟な状態で…
最近の投稿

Tokyo Design Week 2016の事故に想う

この度は、Tokyo Design Week 2016の火災事故で亡くなられた、佐伯健仁くんのご冥福を心よりお祈りいたします。
同じ5歳の娘を持つ、父親の私としては、他人事ではなく、健仁くんのご両親の心中を想うと胸が痛むばかりです。

私達が健仁くんのためにできる事は、その死から学んで、同じ過ちが起きないようにすることです。
主催者や、木造ジャングルジムをつくった日本工業大学の学生の皆さんを責めたいわけではないので、それは最初に申し上げておきます。
「デザイン」による死の衝撃 子供だけでなく、大人の死亡事故のニュースも日常的に私達の耳に入ってきます。
しかし、今回の事故が衝撃的だったのは、火災原因が「設計」としての「デザイン」に起因しているという点だと思います。

設計ミスでの事故というのは、最近では、サムソンのGalaxyのバッテリー発火事故が記憶に新しいところです。
しかし、今回の事故は、明らかに危ない「白熱電球とおがくず」という組み合わせで設計されており、その点に衝撃を受けているコメントがネット上で数多く見られました。

「それは事故になったから、そう言えるだけではないのか?」という想いも自分の中ではあります。
しかし、工業デザインを教えている大学なのであれば、白熱電球とおがくずについては、その組み合わせが危険であるという認識や、出展前の安全性の検証があってしかるべきだったのでないかと思います。
同様に、出展時の主催者側のチェックが無かったのか?という点は、検証されるべきでしょう。

今回の事故をきっかけに、Tokyo Design Weekが来年以降は開催されないという事にはなっては欲しくないです。
当たり前になりすぎて認識が欠けてしまった「安全第一」を胸に刻み、チェック体制をきちんとつくり、後に続く人達への教訓にすることが、健仁くんへの手向けになるのではないでしょうか。
「悔やむ」に感じる違和感 もう一つ、世間の皆さんと同様に、私も違和感を感じているのが、主催者の「痛恨の極み」「悔やむ」「残念」というコメントです。 Tokyo Design Week 2016の公式サイトのコメントでは、以下のように書かれています。
前略
平素よりお世話になっております。
既に新聞・テレビ等の報道でご存じのことと思いますが、この度「TOKYO DESIGN …

アメリカ、NYを舞台にした法律事務所のドラマ「Suits」が面白い!

観ていないなら、絶対にお勧め! Suitsの魅力 アメリカ・USAネットワークで、2011年から放送されているTVドラマ、Suits。
舞台は、ニューヨークの一流法律事務所。ハーバード・ロースクールの卒業生しか雇わない、一流の中の一流の事務所。

主人公のハーヴィ・スペクターが事務所の経営に参画できるシニア・パートナーに昇格する条件として、弟子となるアソシエイトを取る事を条件として出される。

そのアソシエイトの面接会場であるホテルに、人生を転落していたマイク・ロスが、悪友から頼まれた麻薬の配達にやってくる。そして、その麻薬の注文は警察のおとり捜査であることに気付き、ハーヴィの面接会場へと迷い込む。

一様なハーバード・ロースクールの卒業生の面接者とは異なる雰囲気で、興味を惹かれたハーヴィの秘書であるドナは、面接室にマイクを通し、ハーヴィはマイクが麻薬取引で警察から逃げたがっているのを知る一方で、司法試験を代理受験するために六法全書を全て記憶しているという彼の言葉に惹かれて、テストしてみると、その超越的な記憶力に舌を巻くことになる。そして、無資格者のマイクをアソシエイトとして採用することで、全ての運命の歯車が大きく動く事になる…というお話です。
みんな、エリートに見えて、実はそれぞれに苦労人 ドラマを観ると分かりますが、ため息が出そうな程、優雅で、もうエリート社会と思うようなオフィス、大きな仕事、人間関係なのです。
洋服も、主人公は一着100万円するスーツを着ています。住まいはニューヨークのマンションのペントハウス。毎晩、入れ替わり立ち代わり、いろいろな美女との一夜を愉しむ、独身貴族です。

事務所で働く女性達は、所長のジェシカを筆頭に、ハーヴィの秘書のドナ、マイクの同僚で後に恋人、婚約者となるレイチェルは、ブランド物の服と小物でばっちりと決めていて、これまたハイソな雰囲気がバリバリ。

しかし、物語が進むにつれて、それぞれ、色々な問題や過去、家族関係などを抱えており、いわゆる、私達がイメージする「エリート階級出身者」に当て嵌まる人は誰もないということが分かります。
台風の目が成長するように、マイクを雇った事で生じた問題が大きくなっていく
マイクを雇った事で、事務所内で小さな歪みが生じ、徐々に大きくなって問題や難題に立ち向かわなくてはならず、それを乗り越える過程で、各人…

今日で最終日を迎えた「Windows10への無料アップグレード」をするつもりがないあなたへ

2016年7月29日でWindows10への無料アップグレードが終わります 今日の夜の23:59まで、Windows10への無料アップグレードが可能です。
Windows7やWindows8、Windows8.1などのOSをお使いの方は、今日中にアップグレードを終える事をお勧めします。
それでも、Windows10へアップグレードをするつもりが全くない、あなたが知るべき事実「そんなのは知ってる、使い勝手が変わるのが嫌だから、Windows7を使い続ける」「Windows10にすると重くなるからアップグレードしない」 「Windows10にアップグレードすると使えなくなるアプリがある」「Windows10は失敗作だ」 色々とWindows10にアップグレードしない理由はおありかと思います。

そんなあなたに知っておいて欲しい事があります。
それは、「時代は変わった」という事です。

もう、OSを「所有」する時代ではなくなったのです。
OSを「利用」する時代に、全てのOSは移行したのです。
そもそも、私達はOSを「所有」してはいない 「OSを『所有』する時代は終わった」と上述しておいて、その事自体を否定する見出しで申し訳ないです。

私達は、実は、OSに対する所有権を、そもそも持っていません。
私達がお金を出して買ったのは、OSを利用する権利、「使用許諾権」(もしくは「利用許諾権」とも書きます)です。
OSは、著作権法で保護されるもので、OSの販売は、無形物としてのソフトウェアの使用権を認めるという契約になっています。

私達がOSを「所有」していると感じるのは、契約書上は、「使用許諾権」であっても、お金を払っているので、それが自動的に「所有」という感覚を生み出しているのだと思います。

お金を払って所有できないものは、各種サービスがありますが、それとは違って、OSは常に自分のPCの中に存在し、常に一緒です。PC自体は、私達の所有物ですから、その中に入っているOSに対して、所有しているという感覚を持つのは自然です。
IT業界で進む「所有」から「利用」への変化 OSが「所有」から「利用」へと変化した流れを理解するには、IT業界でこの10年に起こった変化を理解する必要があります。
これは、OSだけに起こった事ではなく、IT業界自体を大きく変えた、この10年の大きな流れ…

HTTP/2という「祭り」

最近、HTTP/2は、IT業界がよくやる「祭り」の一つなんだと気づきました。

IT業界における「祭り」とは IT業界における「祭り」とは、新しい技術や手法などが考え出された際に、それをイベントにして盛り上げて商売上のチャンスに仕立て上げるものです。

新しいソフトウェアやハードウェア出たよ(ワッショイ)昔はこれが多かった。昔は、新しいCPUやグラフィックスカードが出る度にやってたよね。あとOSのバージョンアップとか。新しい考え方ややり方が出たよ(ワッショイ) ユビキタスとか、ゲーミフィケーション、マッシュアップ、ウェアラブル、ノマド、フルスタックエンジニア、データサイエンティストとか。コンテンツマーケティング、モバイルファースト、レスポンシブデザイン、マーケティングオートメーションとか。新しい規格や資格が制定されたよ(ワッショイ)昔はCORBAとかSOAPとか流行りまして。資格だと、PMPだったり、MCPとかCCIEとか。規格だと、XML、XHTML、HTML5とか。 私達、IT業界は、これを繰り返して需要を喚起し、ビジネスをしているのではないかと思います。

これらの「祭り」でビジネスの需要を喚起して、色々と売り込んで、実際にどれだけ生産性の向上に寄与したんだろう?と考えると、とっても怪しいです。

このあたりについては、ニコラス・G・カーの著書「ITにお金を使うのは、もうおやめなさい」(現在は、「もはやITに戦略的価値はない」というタイトルになってダイヤモンド社から発売されています)で詳しく解説しています。

もう13年も前の話になりますが、とある銀行の様々なシステムのファンクションポイント数を片っ端から数えるというのをコンサルティングの仕事で入ってやったことがあります。
そして、実際に業務で使われている機能のファンクションポイント数を数えて、どのくらいIT投資が無駄になっているかを調べたのですが、半分以上使われていませんでした。

銀行のシステムは、それなりに要件定義とか定めて作ってると思うのですが、それでも半分は使われないわけです。
「祭り」で導入されたシステムなどが、どれだけ、実際に使われて役に立っているのかを考えると、怪しいものです。その辺りの内情を知ってる人々は、 「過去の遺物が死屍累々」と言うわけです。
新しいから良いわけではない 我々が間違えやすいのは、…

うちの子供には、いつプログラミングを教えるか

先々週、もう、17年ぐらいのお付き合いになる、人材派遣業界のフィクサーみたいな方とお会いしました。

久しぶりのお会いして、結婚して、娘が二人居るという話になったら、「竹洞さんは、サイバーサイボーグだと思ってたので、結婚してお子さんも居ると聞いて安心しましたわ。竹洞さんも、人間らしくなってきたんですね」と言われました…

いや、普通に人間ですから…

それで、「じゃぁ、もうプログラミングとか教えてはるんですか?」と訊かれたので、「いや、まだ教えないです。」とお答えしました。

「どうして、教えてないんですか?いつ教えるんですか?」と、色々と突っ込まれました。

上の娘が小学二年生、下の娘が幼稚園の年長さんで、まだその時期じゃないので。

今は、まだ言葉の根本的な意味について、「その言葉、わかんない」と言われて質問される事が多く、こっちも必死になって、どうすれば、言葉の意味が伝わるだろうかと考え込みながら、回答する日々です。

身近に手に触れられるものは、教えやすいのですが、手に触れられないものや、巨大なもの、あと時間感覚がまだ完全に身についていないので時間に関するもの、概念的なものについては、説明するのに非常に苦労します。

そして、それを説明し切れない時に、「自分は本当は、この言葉の意味や本質を理解していないんじゃないのか?」 という現実に直面してしまうのです。
「これはね、こういう意味だよ」って説明して、「その言葉の意味が分からない」って言われて、子供に突っ込まれた感のやるせなさというか、苛立ちというか…

そういう子供の素直な疑問・質問に対して、真正面から向き合って、考えることで、学ばされる事が多々あると気づきます。

何故、自分のおもちゃを友達に貸してあげないといけないのか。
何故、自分のお気に入りのものを妹に取られたら、力づくで取り返してはいけないのか。
何故、友達と遊ぶ約束より、日々の自分の宿題を完了させる方が優先なのか。
何故、ピアノを学ばせてるのか。
何故、英語を勉強しなくてはいけないのか。
何故、習字を習わないといけないのか。

まぁ、ピアノや英語、習字については、最初嫌だなと思っても、できるようになると楽しくなって、練習することが楽しくなるよ、という事を言い聞かせて、続けさせたら、今は楽しくやっているので、学ぶ楽しみを教えることが出来て良かった!と思いました。

と…

シグナル&ノイズ

「シグナル&ノイズ 天才データアナリストの『予測学』」(日経BP)から。
Distinguishing the signal from the noise requires both scientific knowledge and self-knowledge: the serenity to accept the things we cannot predict, the courage to predict the things we can, and the wisdom to know the difference.
(シグナルをノイズと区別するには、科学的知識と自己認識が求められます。その自己認識とは、私たちが予測できない事柄を受け入れる冷静さ、私たちが予測できる事柄に対する勇気、違いを知る英知なのです。) この文章は、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーの「ニーバーの祈り」をもじったもの。

データアナリストとして、計算能力だけに頼るのではなく、科学知識(調査対象領域に対する知識) と、自己認識を大事にしたい。

データ分析に携わる人に、この本はお薦めです。